第1章 農業未経験のWEBデザイナーが「奇跡のリンゴ」に導かれ、リンゴの自然栽培に挑む
リンゴの実が安定して収穫できるようになるまで、あと何年かかるかわかりません。 途方もない挑戦をしていることはわかっています。 それでもこのような道を進めることに感謝する日々です。 無肥料・無農薬で行う「自然栽培」でのリンゴづくりが軌道に乗るまで、挑戦は続きます。
1.自然栽培との出会い
旧暦10月の別名を「神無月(かんなづき)」といいます。 日本中の神々がその地からいなくなってしまい、留守となるからです。 一方で、全国から集まってきた神々によって神議(かみはかり)が行われるのが島根県の出雲地方で、ここでは10月を「神在月(かみありづき)」と呼んでいます。 雨が多い気候と、日本海や中国山地・宍道湖など豊かな自然に恵まれた島根は、海の幸山の幸が豊富です。
長い間WEBデザインの世界で生きてきたわたしが農業をやろうと思い立った背景には、島根という土地の豊かさだけではなく、神々の招きがあったような気がしています。
いつの頃からでしょうか、専門であるWEBと人間の命を支える基本である農業とを組み合わせて世界中とつながりたい、と考えるようになりました。 まず始めたのは、液肥を用いた無農薬のトマト栽培です。
農業の経験などありませんでしたが、無農薬でもトマトはできました。
けれども、なにかが違いました。
わたしの目指すものはこれではないように思っていたのです。
転機が訪れたのは、東日本大震災が起きた2011年のことです。 鳥取県倉吉市で開かれた講演会を聞きに行きました。 このとき講演をしたのは「奇跡のリンゴ」で知られる木村秋則(きむら あきのり)さん。
不可能だといわれた無肥料・無農薬のリンゴ栽培を初めて可能にした人物です。
品種改良によって作られた現代のリンゴ栽培は、農薬使用を前提として成り立っています。しかし、虫や病気にてきめんに効く農薬が、人間の健康にも影響を及ぼさないはずがありません。
木村さんの奥さんは農薬に敏感な体質で、農薬を散布すると1週間は寝込んで苦しんでいたそうです。
農薬を使わずにリンゴを栽培できるようになれば、奥さんは苦しまずに済むかもしれない。
そう考えてリンゴの無農薬栽培に取り組み始めた木村さんは、研究にどんどんのめり込んでいき、およそ10年間全くリンゴは収穫できず無収入となりました。
そんな壮絶な経験を経て木村さんがたどり着いたリンゴの栽培方法は、これまでの常識とはまるで違うものでした。
無肥料・無農薬でできるから奇跡のリンゴなのではありません。
木村さんのリンゴは「2年置いても腐らない」「通常のリンゴとはまるで味が違う」などと言われています。
まさに「奇跡」のリンゴです。
リンゴだけではなく、イネやトマトなどの農作物全般を無肥料・無農薬で栽培する方法が、木村さんの提唱する「自然栽培」です。
一般の講演会では、成功者の体験談をありがたく拝聴するイメージですが、木村さんの話は違っていました。
「どうか、どうかこの私を踏み台にして、この農法を一緒に広げていってください」
木村さんが低く頭を下げる姿は、十年以上経った今もわたしの脳裏に鮮やかに焼き付いています。
わたしはその低く頭を下げる木村さんを見て、涙があふれて止まりませんでした。この自然栽培という農法を広めなければと、ただただ純粋に心を揺さぶられました。
2.リンゴ栽培の開始
木村さんの講演を聴いてからというもの、わたしはさまざまな場所に出かけては、さまざまな人の話を聴きました。 そうしていると、運命の歯車が徐々に回り始めるものです。
松江市に空いているリンゴ畑がある、やってみないか、とわたしに話を持ってきたのは広瀬町の戸谷豪良(とや たけよし)さんです。
願ってもないチャンスでした。
戸谷さんは共に木村さんの講演会を聞きに行き、自然栽培を実践しようとしている仲間です。
わたしもこれでリンゴの自然栽培に挑戦できる。木村さんが研究に研究を重ねて見つけた方法を真似すれば、無肥料・無農薬でもリンゴができるはずだ。
今思えば、挑戦できる喜びばかりで軽く始めたリンゴ栽培でした。
それが大変な茨の道だと知るのは、もう少し後のことになります。
3.リンゴの落葉
農業のこともリンゴ栽培のこともほとんど知らなかったわたしは、まずは木村さんの本をもとに、基礎からリンゴ栽培を学ぶ必要がありました。
本には、従来どおりの栽培をしていた畑から自然栽培の畑に転換したとき、リンゴの実がなるまでには7年かかる、と書かれています。
これだけでも、自然栽培が容易ではないと想像がつきます。
しかし、現実は想像を遥かに超えたものでした。
ご存知の通り植物は光合成によって自ら栄養を作り出します。 光合成を行う場所は、葉の中の葉緑体です。 太陽の光を浴びると、葉緑体で水と二酸化炭素が糖になります。 できた糖をエネルギー源として植物は成長し、実や根などにその栄養を蓄えていくのです。
わたしの畑ではその大切な葉が、なくなっていました。
農薬を散布しない畑は、虫たちにとって三ツ星シェフが腕を振るうレストランのようなものです。
リンゴの葉に虫たちは群がりました。
すべての木のすべての枝に毛虫が発生し、何万匹という圧倒的な数でモリモリと葉を食べていました。
農薬を使わずに虫に抗おうとすれば、1匹ずつ手で取り除いていくしかありません。
しかし、取っても取っても、毛虫は次から次へと現れました。
とても取り切れる数ではありませんでした。
終わりのない毛虫たちとの戦いに疲れ果て、しばらく放置しているうちに、毛虫たちはすべての葉を食らい尽くしてどこかに消えていってしまいました。
1年で最も葉が茂るはずの季節。 これから栄養を蓄えていくはずの季節。
さんさんと降り注ぐ太陽のエネルギーを受け取る葉もなく、枝だけになってしまった木が立ち並ぶ光景に、ようやく夢から覚めたような気持ちになりました。わたしはとんでもないことに挑戦してしまったのではないか。
冬枯れのような畑を前にして、愕然としました。
そんなことを繰り返しているうちに、毛虫の発生はある程度予測がつくようになってきました。
虫の一生のサイクルに目が向くようになったからです。
成虫がやってきて、卵を産み付ける。
卵から孵った若齢幼虫は集団で葉を食べる。
その後、脱皮して老齢幼虫になると、あちこちに散らばってさらに葉を食べていく。
次にさなぎになり、そして成虫になる。
何万匹も発生してリンゴの葉を食べ尽くしてしまったのは、体の大きな老齢幼虫です。わたしは成虫がリンゴの木のどこにいつ卵を産み付けるのか、いつ幼虫が孵化するのかが、見えてくるようになりました。 遠目からでも、リンゴの葉が葉脈だけになって光に透けていると、おかしいと気づくようにもなったのです。
透けた葉では、若齢幼虫が何百匹も集まって葉を食べています。この状態で一網打尽にしてしまえば、被害は最小限で済みます。
それをつかんだ頃には、4〜5年が経っていました。
虫は見つけて取ってしまえばよいことがわかったのですが、次に悩まされたのが菌による葉の病気、斑点落葉病です。
この病気は、気候によって左右されます。夏に雨が多く降ると、発生するのです。初めのうち、葉にポツポツと茶色い斑点が出てきます。
病気が進むと、斑点が広がってきて葉が落ちてしまいます。葉だけではありません。枝や果実もこの病気に侵されていくのです。
果実に発生すると、カサブタのような斑点が現れて商品価値が大きく下がってしまいます。
1本の木が病気になると、次から次へと病気が広がっていきます。通常の栽培方法なら薬であるていど斑点落葉病を抑えられるのですが、自然栽培では薬を使えません。
一度葉を失ったリンゴの木は、それでもまだ、生きようと必死です。新しい芽を膨らませ、また葉を開きます。
本来ならばこの葉は、次の春のために用意された葉です。狂ったリズムで葉が開き、春に咲くはずだった花も咲くのです。
リンゴの生命力が咲かせた花は、あまりにも美しいものでした。そして同時に、絶望を呼ぶ光景でした。
次の春に花は咲かず、次の秋に実はならないことを見せつけるものだからです。
そんな経験を重ねるうち、斑点落葉病にかかりにくい品種があることがわかってきました。 また、リンゴには9月ごろに実がなる早生の品種と、11月ごろ収穫する晩生種があります。
仮に夏に葉が落ちるとすると、晩生種の場合、それから実に栄養を送れなくなるため、影響が大きくなります。 しかし、早生種ならもう実はできているので、影響は小さくて済むでしょう。
つまり、斑点落葉病に対抗するカギは品種選びだということに気づいたのです。
耐性のある品種、また、もしこの病気にかかったとしても影響が小さい早生種の苗を選んで、新しく植えています。
4.虫や動物との関係
リンゴの生育に影響するのは、毛虫や斑点落葉病だけではありません。 リンゴの枝を内側からボロボロにしてしまうのが、カミキリムシです。
カミキリムシの成虫は、枝を噛んでそこに卵を産み付けます。 枝を噛みほぐしてふわふわにしておくのは、孵ったばかりの幼虫へのプレゼントです。 親が用意してくれたやわらかい食べ物で育った幼虫は、次に固い枝の中を食い進みます。 カミキリムシが通った枝には大きな穴があき、もろく折れやすくなるのです。
木を枯らす脅威は他にもあります。 シカです。 シカの好物のひとつがリンゴの木の皮で、角で傷をつけ、皮を剥ぎ取っては食べてしまうのです。 そうやって傷つけられた木は弱りはて、枯れていきます。
もちろん、シカが畑に入らないようにと畑の周りを金網で覆っていますが、ジャンプ力のあるシカの侵入を防ぐには、2mほどの高さが必要になります。
そのうえ厄介なことに、シカはたいへん頭が良いのですね。 ようやく周囲に金網を巡らせても、この金網がどうやって固定されているのかを簡単に見抜きます。
金網を固定している紐の弱い部分だけに狙いを定め、飛びついて噛み切って、侵入口を作ってしまいます。 シカとの知恵比べは、今も続いています。
カメムシはリンゴの汁を吸って、果実を台無しにします。 シカやイノシシも、リンゴの実が大好きです。せっかくできたリンゴが、シカの襲撃で全滅したこともあります。
スズメバチもリンゴの実が大好きで、独特な食べ方をします。
リンゴの実の中に潜り込んで、皮だけを残してキレイに中身を食べてしまうので、提灯のようなリンゴが木にぶら下がっているのです。
「奇跡のリンゴ」の木村さんの物語は、リンゴに実がなるまでに焦点が当てられています。 実がなるようになったあとも虫や動物との関係が続くなんて聞いていないよ、と愚痴のひとつも言いたいですが、言ったところで仕方がありません。
わたしが管理しているリンゴ畑にはおよそ550本のリンゴの木がありました。
しかし、カミキリムシやシカ、病気などの影響で次々に枯れていき、最初からあった木のうち今も残っているのはわずかです。 わたしは新たに250本のリンゴの苗を植えました。
これらの木が大きくなり、たわわに実ったリンゴを収穫できるようになるまでには、あとどれくらいの時間が必要なのかと考えています。
木村さんが無農薬でリンゴを実らせるまでが10年、自然栽培が軌道に乗るまでが30年。
やはり30年くらいはかかるのかもしれない、と覚悟しています。
5.植物の共生の世界
今まで不思議に思っていたことがあります。 ススキなどの草を刈ろうとすると、アブやハチなど、大量の虫がやって来るのです。 刈られるのを嫌がるススキが、虫たちに命令して、わたしを攻撃させているかのようです。
また、リンゴの周りに野菜でも植えようかと苗を持っていって、強烈な腹痛に襲われたこともあります。 あとから気づいたのは、その野菜がリンゴの近くで育てるには向かないものだということでした。
リンゴの枝を剪定しようとして、咳き込むこともありました。 切るのをやめると、咳はおさまります。 まるで、リンゴが枝を切るのをやめさせようとしているようでした。
これらが植物からのメッセージだと思うようになったのは、テレビ番組で植物が出すホルモンのことを取り上げていたのを見てからです。 自分では動けない植物は、ホルモンを使って虫を追い払ったり、鳥を呼び寄せたりするらしいのです。
たとえば、テントウムシは偶然とは考えられない確率で虫に食べられているヤナギへと向かいます。
研究によるとヤナギの葉は、ヤナギルリハムシの幼虫に食べられると、テントウムシに向けて「幼虫に葉が食べられている」というメッセージとなる物質を放出しているようなのです。 テントウムシはそのメッセージを感じてヤナギへと飛んでいき、幼虫を食べるというわけなのですね。
アカマツの場合は、葉を食べる虫が来ると、その虫を食べるシジュウカラを呼ぶそうです。 そういえば、庭にあるアカマツに、何十羽もの小鳥が来て、楽しそうに鳴いているのを見て、いい餌 でもあるのかなと不思議に思ったことがあります。
このような共生の世界を知って「そうだったのか」と、わたしは膝を打ちました。 リンゴ栽培を始めた当初は、リンゴからのメッセージがわからずに、リンゴによくないことをいろいろとやっていたのです。
最近では「助けて!」とわたしを呼ぶリンゴの声が聞こえるような気がするときがあります。 リンゴには意識があり、わたしをじっと観察していて、こうしてほしいとメッセージを送っているのでしょう。 このメッセージを敏感に受け取って、厳しい環境の中で生き抜こうとしているリンゴにそっと手を添えることが、わたしにできることだと思っています。
番組では植物と菌の関係も取り上げていました。 わたしたちがよく目にするのは、胞子を拡散するための「キノコ」ですが、実は土の中には「菌糸」と呼ばれる細い糸状の体が広がっています。
菌糸は複雑なネットワークで繋がり、植物の根とつながって土から吸収した栄養分を植物に与え、植物は代わりに光合成で得た養分を菌に与えています。 森の中の幼木は、菌糸のゆりかごに守られて成長するのです。
今までわたしは畑を耕して、リンゴの苗を植えていました。 それは、菌糸のゆりかごをわざわざ破壊することを意味します。
自然栽培の考え方の基になった「自然農法」では耕さずに苗を植えます。 わたしは、自然農法の「不耕起」の意味をはっきりと説明してくれたこの番組に本当に感謝しています。
いままで言っていることはわかるけれど、そこまで必要なのかと思っていた「不耕起」ですが、本当に理にかなった方法だったのです。
植物の根と菌糸の関係を研究すれば、リンゴの生育に役立つのではないかと期待しています。
6.リンゴの芽
2023年2月。 わたしは雪の残るリンゴ畑に立っていました。
カミキリムシに中を食われて弱くなった枝が、雪の重みで折れています。 シカにやられて枯れた木もあります。 細い枝についた芽は小さくしぼんでいて、冷たさを感じました。
枯れた木の代わりに植え直した苗はまだ小さく、次の秋も多くの収穫は見込めません。 悲惨な畑だと言ってもよいでしょう。
しかし、命をはらんでぷっくりと膨らんだ芽もあります。 春に開く芽です。 リンゴは生きています。 強い生命力を宿して春を待っています。
まだまだ、虫や病気、シカなどとの関係は続くでしょう。 それでもいつか、木村さんのリンゴと同じように、食べた人の心を動かすような旨い実がたわわになる日が来るに違いありません。 葉が青々と茂り、命のざわめきに満ちたリンゴ畑の光景が、雪の向こうに見えるような気がします。
このような挑戦ができる人生を送れるのは、わたしを見守ってくれる出雲の神々と豊かな自然、そして家族や友人たち、仕事で関わってくださる多くの方々のおかげです。
すべてに感謝して、今日も前に進みます。