第2章 森の中からオンリーワンの野生麹を見つけるまで
松江の森を歩いていると、しんとした厳かな空気に何かを感じ、思わず背筋が伸びることがあります。
昔の人は、それを神と呼んだのかもしれません。
わたしが野生の麹を見つけるまでに重なった多くの偶然のことは、どう呼ぶのがよいのでしょうか。
やはり、何かの存在を感じずにはいられないのです。ひたすら感謝しかありません。
1.野生の麹を探そう!
リンゴの自然栽培 は、わたしの想定よりもはるかに困難なものでした。
葉を食べてしまう毛虫や斑点落葉病、そしてカミキリムシやシカなどと共生していくために、肥料や農薬を使わずにできることを片っ端から試していきました。
解決しなければならないのは、リンゴの自然栽培を軌道に乗せることだけではありません。
消費者に選ばれるオンリーワンの商品を作り出すことが、もうひとつの大きな課題でした。
1次産業の農業と2次産業の製造業、そして3次産業の小売業とをかけ合わせた「6次産業化」が、地方の農業を支える重要なカギになるのです。
それにしても。
オンリーワンの商品づくりだなんて、一体どこから取り組めばよいのでしょう。
だれもやってないことで、農産物がブランド化できるようなアイディアは無いかなと頭を抱えていたとき、ふとひらめいたのが甘酒でした。
水の代わりに甘酒を使って農作物を育てたら、おいしい商品ができるかもしれない。
甘酒は、米麹に水を加えて60°前後で糖化させたものです。
麹の酵素が米のデンプンやタンパク質を分解し、ブドウ糖やアミノ酸、ビタミン類に変えるため、自然な甘みと旨味をたっぷりと含んでいます。麹の力で元の米から消化しやすい成分に変化した甘酒は、「飲む点滴」とも呼ばれているほど滋養に富んでいるのです。
木村さんの提唱する自然栽培では通常、無肥料無農薬で作物を育てます。甘酒は肥料になってしまうので甘酒で育てた作物は自然栽培では無くなります。
しかし、わたしはこの思いつきにワクワクし、試してみたい気持ちでいっぱいになりました。
もし試すのなら、比較的生育が速いうえに付加価値をつけやすいトマトがぴったりです。
もちろんリンゴでもやってみたいのですが、実ができるまでには長い時間がかかりますし、実験規模が大きくなってしまいます。
まずはトマトだ、と思いました。
甘酒をつくるのに必要なものはなにか?わたしはさらに考えました。
自然栽培米は、友人の戸谷豪良(とや たけよし)さんに頼れます。
では、麹は?
スーパーマーケットなどでも「麹」は売られていますし、日本酒や味噌などを作るための麹を提供する「麹屋」さんもあります。
しかし、商品に個性を持たせるためには、普通の麹では物足りないような気がしました。
麹についていろいろと調べてみると、隣の鳥取県には野生の麹菌を使ってパン作りをしている人 や、スイカの花から抽出した麹菌でお酒を作っている人たちがいることがわかりました。
鳥取に野生の麹菌がいるのなら、同じ山陰の島根にもいるに違いありません。
パンを作っている人の話では、野生の麹菌は自然栽培の米にだけつくそうです。
それなら、自然栽培のリンゴ畑の近くにも麹菌がいるのではないでしょうか。
「野生の麹を、リンゴ畑の近くで見つけるぞ。」
新しい挑戦が始まりました。
2.麹 とは?
麹というのは、実に不思議な存在だと思います。
日本の発酵食品の多くが、麹の力でできています。
味噌・醤油・日本酒・酢・みりんなど、麹がなければ成立しないものばかりです。
たとえば日本酒を造るときには、「麹」の出来が酒の出来を左右するといわれています。
杜氏(とうじ)の最も大切な仕事は、よい麹をつくること。
ここでいう「麹」とは、米に麹菌を生やしたものを指します。
水分や温度を細かく管理しながら、麹菌の働きによって米が分解されて出てくる香りを頼りに、麹をつくるのだそうです。
こうして出来た麹が酒の材料である米のデンプンを糖に変え、その糖を酵母がアルコールに変えて、日本酒ができあがります。
日本の「国花」はサクラ、「国鳥」はキジですが、では「国菌」は何でしょう?
そう、麹菌です。
日本を代表する菌として、2006年の日本醸造学会大会で認定されています。
麹菌は、わたしたちにとって最も身近な菌なのです。
ここで、麹菌の生物学的な顔を紹介させてください。
和名を「ニホンコウジカビ」といいます。
なんと、カビの仲間なんですね。
名前に「ニホン」がついていることからも、麹菌が日本で独特の地位を築いている「国菌」であることに納得がいきます。
海外に目を向けると、パンやビール・ワインなどの発酵に使われるのは酵母、ヨーグルトやキムチなどを作るのは乳酸菌、ブルーチーズやカマンベールチーズには青カビや白カビです。
麹菌を使って発酵食品を作っているのは、日本だけなのです。
カビや菌の働きによって、人にとってよくないものができることを「腐敗」と呼びます。
しかし、同じようにカビなどの働きで人にとっていいものができると「発酵」です。
食品が発酵すると旨味や甘味が増し、栄養価が高まるだけでなく、保存もきくようになります。
発酵って、すごいですね。
日本各地にある「麹屋」さんは、麹菌のうち味噌や酒づくりに特に適したものを選別し、大切に保存しています。
どこの家でも味噌を作っていた昭和のはじめ頃までは、日本中に麹屋さんがありました。
麹屋さんから目的にあった麹を買って、安全で安定した品質の発酵食品を作っていたのです。
そもそも、島根県は日本酒発祥の地といわれています。
日本酒に関する最古の記録は、古事記や日本書紀に書かれているヤマタノオロチの物語です。
この物語の中で、暴れるヤマタノオロチを退治するためにスサノオノミコトがアシナヅチ・テナヅチに用意させたのが「ヤシオリの酒」。
島根で盛んな石見神楽の中でも、旨い酒をたらふく飲んでふらふらしているヤマタノオロチの首を、スサノオノミコトがえいやと切り落とす勇壮なシーンは、最も観客を沸かせる見せ場のひとつです。
今も島根の自然の中には、ヤシオリの酒を醸した麹菌の末裔がひっそりと生きているのかもしれません。
誰にも知られていない野生の麹を見つけられたらおもしろい、とわたしはワクワクしていました。
3.麹を採る
食べ物を放置しておくといつの間にか、色とりどりのカビが生えてきます。
空気中を漂っているカビの胞子が食べ物につき、その食べ物を栄養源にして増殖し、カビの体を作っていきます。
このとき、おそらくさまざまな種類のカビ胞子がつくのですが、その環境に適したカビだけが勢いよく増えることになるでしょう。
普通のカビではなく、麹菌を採取するにはどうすればいいのでしょうか。
文献を探してみると、室町時代には蒸した米にカシの木や椿の木の灰をまぶしておき、麹菌を採取していたようでした。
木の灰はアルカリ性で、山菜のアク抜きや酸性土壌の中和にも使われています。
他のカビの勢いを抑えて麹菌だけを採るためには、アルカリ性の環境が向いているようです。また、採取に適しているのは、菌の活動が最も活発になる夏だということもわかりました
次は、麹菌を採取するための蒸し米の用意です。
自然栽培で作られたササシグレという米を木村さんのお店から取り寄せました。
ササニシキの父系品種で、とても旨い米です。
もちろん水にもこだわりました。
島根県雲南市にある「須我神社(すがじんじゃ)」は、スサノオノミコトによって造られたと伝えられている、日本初の宮殿、日本初の宮です。(和歌発祥の地とも言われています)
この神社の奥宮にある禊場の水で、米を蒸しました。
もし、ヤシオリの酒を醸した麹菌の末裔がいるのなら、この水に呼び寄せられてくれるのではないか、そんな期待がありました。
野生麹を採るための準備は完了です。
虫や動物たちに荒らされないよう、蒸し米を高い場所につるして、リンゴ畑がある森の中のあちこちに仕掛けて麹菌がおりてくるのを待ちました。
リンゴの木に。
リンゴの木の近くに。
畑の脇の森に。
森の奥深くまでどんどん範囲を広げていって、やがて採集場所は20箇所ぐらいになりました。
麹菌はすぐに見つかるだろうと思っていました。
しかし、どこに仕掛けた米にも、麹菌らしいものは生えてきません。
写真で見る麹菌は、うすい抹茶のような緑色です。
しかし、蒸し米に生えたのは黒いカビのようなものばかりでした。(おそらく黒コウジカビ)
わたしは、さらに範囲を広げて探すことにしました。
山の中を歩き回り、考えつく限りさまざまなところに蒸し米を仕掛けましたが、やはり麹菌は見つかりません。
リンゴの自然栽培に続いて、また大変なことを始めてしまったのかもしれない、と思いました。
これだけ探しても出てこないのは場所が悪いのか、方法が悪いのかとだんだん弱気になっていきます。
「この山には、麹菌はいないのかもしれない。」
他にどこを探せばいいのかと途方に暮れ、麹に詳しい人にアドバイスを求めたいとあちこちを調べました。
島根県の産業技術センターや、広島県の研究所や他県の施設などにも聞いてみましたが、収穫はゼロでした。今の時代は麹は買う物であって、採集する物では無いと言うことです。
2か月ほどそんなことを繰り返していたある日、わたしは夢を見ました。
大雨が降った日でした。
誰かがわたしを手招きしています。
その人のいる場所は、ぼんやりとしていてよく見えません。
どこだろう。
どうやらそこには、池があるようです。
滝から水が流れていて、シダのような植物が斜面を覆っているように見えました。
ハッとしました。
そうだ、水だ。
麹菌は、水の流れるところにいるのではないだろうか。
目を覚ましたわたしの頭には、ある場所がはっきりと浮かんでいました。
まっすぐそこへ向かい、蒸し米を仕掛けて祈るように待ちました。
3日過ぎ、5日が過ぎ、1週間経ちましたが、蒸し米にはなんの変化もありませんでした。
「ここもダメかな」
「うーん。ちくしょーなんだったんだあの夢」
とため息をつきながら、変化の無かった蒸し米を容器ごと事務所に持ち帰り、それでもと念のため重ねて分かるように置いておきました。
さらに数日後、なんとなく容器の中をもう一度確認したくなり、見てみた瞬間、心臓がどくんと打ったのがわかりました。
他の菌に混じって、抹茶のような色をした半径1cmほどのコロニー(!)ができています。
「わわわ!これ麹じゃん!」「正夢だったかやっぱり!」「すげー!」
今までに見てきた菌とは見た目が違い、麹のそれとそっくりです。
しかし、こんなに小さなコロニーでは麹菌かどうかを確かめるのには少なすぎます。
わたしはそっとそのコロニーをピンセットでつまみ、新しく用意した蒸し米の上にのせました。
そして保温器で培養をすること3日。毎日、ドキドキしながら保温器の様子を見ました。
3日くらいで米全体に、びっしりと緑の菌がついてきた写真がこれです !
わたしはこれは間違いなく探していた麹菌だと確信しました。
しかし、同じ場所で麹菌だけ何度も採れるような再現性がなければ話にならないなと思い、あらためてもう一度、同じ採集ポイントに行き、その近くの数か所に蒸し米を仕掛け直すことにしました。
毎朝、祈りながら様子を見に行きました。
「どうか出てきますように」「山の神様よろしくお願いいたします」
すると一箇所に強い反応があり、約一週間ぐらいで
米全体に、びっしりと緑の菌がついてきました。
「ありがとうございます!キタキタキターーー!」
「ここかー!この場所か!探していた場所は」
この前の小さなコロニーは、大雨のあとで菌が近くに飛び散っていたのを、たまたま拾ったものだったのでしょう。
ここにいるよ、見つけてよ、という菌からのサインだったのかもしれません。
麹採集の再現性が確認できたので次は菌の毒性検査です。
全く知識が無いところからの研究施設探しなので、知人に聞いたりして探しましたが、麹に対しての知見が無いところが多く、断られたり、とんちんかんなことを言われたりと結構苦労しました。しかし、Googleで検索してみると何社かリストに出てきてそのうちの一社、群馬の(株)食環境衛生研究所にお願いしました。
7項目の検査をお願いして結果は全て不検出。毒性は0の菌だと証明されました。
大丈夫だろうとは思っていましたが、よい結果が出てほっとしました。
さあ次は糖化試験です。この麹菌がアミラーゼ(酵素)を持っているかどうか甘酒をつくって確かめます。
麹菌から米麹をつくり、水をくわえて温度を60°に設定して待つこと24時間…
食べてみると
「甘っ!」
緑の米麹からつくったので色が付いていますが確かに甘いおかゆ状の甘酒が出来ました。
市販の甘酒のように液体になるのかと思いましたがおかゆのような出来上がりなので、水を足したり、糖化時間を延ばしたりしてもあまり変わりません。結局、米麹を粉末状にして糖化していることがわかり粉砕器を購入しました。
毒性試験もOK!糖化試験もOK!
わたしが見つけた菌は、紛れもなく野生の麹菌でした。
4.亀治米との出会い
野生麹は本当に運よく見つかりました。山の神様に感謝です。ありがとうございました。
次の課題は、杜氏も最も神経を使うといわれる米麹づくりです。
米麹にはもちろんお米が必要です。しかも菌の採集でも使用した自然栽培米を確保することが、米麹づくりでは重要です。
ササシグレなどの自然栽培米は島根県では作っていません。わたしは地元で米麹に最適なお米はないものか探すようになりました。そんな時、
鳥取の八頭町で野生の麹菌から味噌をつくっている藤原さんの話を戸谷さんから聞き、一緒に見学に行くことにしました。
見学が終わって藤原さんと味噌の話をしているときに、
「そういえばウチのお米、安来のお米ですよ」
「亀治米、知りませんか?」
「蒜山の農家さんから買っていますが、安来のお米です」「米麹にするとすごくいいんですよ」
初めて聞くお米の名前でしかも県外の方から教わるとは!ありがとうございます!
「えーー!安来?戸谷さん地元じゃん」
「亀治米いいね!作ろうよ」
と、とんとん拍子に決まりました。
亀治米は島根県安来市で明治 5年に作られた品種です。
当時の農家を悩ませていたのは、稲の葉や穂を枯らすいもち病でした。
広田亀治さん(ひろた かめじ)が何年もかけて選別した品種は、病害虫に強く収量が多いことから農家に好まれたそうです。
明治から昭和初期まで、島根県内で最も多く作付けされただけではなく、中国地方や関西、九州、さらに台湾にまで、栽培が広がるようになりました。
農業に大きな変化をもたらしたこの米を、人々は尊敬の念を込めて亀治米と呼んだのです。
亀治米はいもち病に強くしかも多収が好まれ、明治から昭和初期まで県内で最も作付面積が多く、中国地方や関西、九州、さらに台湾まで広く栽培されていました。
わたしは新聞記事から亀治米のことを辿って、今でも安来の荒島で栽培を続けておられる方がいることがわかり、戸谷さんと一緒にその方を訪ねて種籾を分けていただきました。
安来の奥田原で戸谷さんに栽培をお願いしながら、わたしも田植えや除草を手伝っています。
亀治米を一年作ってみて、
一般の肥料有りの田んぼで作ると背が高くなって倒れやすいと聞いていましたが、無肥料で作るとちょうどよい高さで成長がとまるので自然栽培に向いている。
同じ田んぼで前年はいもち病で収量が悪かったが、いもち病が発生せず、収量も上がった。
少々雑草が生えていても収量が上がった。除草剤などが無かった時代のお米なので雑草の影響を受けづらいのかもしれない。
2023年の夏の今、二期目に入り亀治米の作付け面積も増え、順調に育っています。